平成15年某月某日   『或る通夜の晩』

檀家さんのお祖母さんが亡くなられたので、通夜に出かけた。

名前を聞いてもとっさにお顔を思い出すことが出来なかった。というのもお寺でお見かけしたことが無かったからである。

会うといえば、年に一度お盆参りの時だけだった。


通夜行が始まり心が定まったころ、ふと気づくと、お棺の向こうにお婆ちゃんがニコニコ微笑んでおられる。

・・・・・見ると両手で何か差し出しておられる・・・・薄紙に包まれて2枚の紙幣が透けて見える・・・

・・・・・・・・・・・・そこで我に返った。

薄目を開ければ・・・・周りには大勢の遺族・お参りの方々で埋め尽くされいる。私は読経を続けていた・・・・

不思議な気持ちのまま通夜行を終え、出されたお茶に手を延ばす。息子さんがご親戚と話されている。

「・・・・だから俺も祖母さんが困るといかんと思って、お棺に2万円入れておいたんだ・・・・」


・・・・・年に一度のお盆の日。

お経が終わるとお祖母さんは折れ曲がった身体で這い出てこられる。閉め切った座敷の畳の上を、お盆を押して。

『お参りして頂いて、ありがとうございます。心からのお礼受け取ってくださいな・・・・」

通夜の晩 亡くなったご当人からお布施を頂いたのは、私だけかもしれない。

笑っておられたお婆ちゃんの顔・・・・・僕はきっと一生忘れないだろう・・・・・
平成17年正月18日  『初観音』

金剛乗寺には玉名市の天水町にもう一つお寺があります。肥後三十三観音 二十三番札 竹崎観音。

信仰深い竹崎の村人によって篤く護られている寺だ。大変由緒のあるお寺で、正月18日の初観音祭りには、露店も

並び大勢の信者の方で賑わう。これはそのときのこと・・・・

お堂に入り壇に登り本尊に御法楽。左右には若い衆が座り、ご参拝の方々にお神酒とお餅の御接待をされていた。

気が付くと、右手奥に九十過ぎと思われるお婆さんが立っているのが見えた。とても小さい。

手には大きなダンボール箱を抱えて・・・・・困り果てた様子でこちらを見つめている。

するといきなり私の頭上からお堂中に声が響いた!

「そんなもの持っていると成仏できないよ!!!!!」

私が仰天している間に、そのお婆さんはすこし悲しそうな顔をしてダンボールを床に投げ出し、消えた・・・

境内で薪の炎に手をかざし酒を頂きながら、村の衆に不思議なその話をした。すると隣に居合わせた区長さんが

「それはうちの祖母さんかもしれん・・・」と言われた。10日ほど前になくなられたそうだ。ご高齢のため、お布団の周り

に、ぐるっとダンボールを置いて、いろんな荷物を入れておられたらしい。その中になにか大事にされていたものがあった

のだろう・・・・あの世に持っていくには重すぎたに違いない・・・・


お声の主はお寺の本尊・十一面観世音菩薩と思う。僕は本堂を振り向くと、しげしげと見つめなおした。

いつもと変わらぬ古びたお堂が建っているばかりである・・・



平成17年某月某日      『地蔵菩薩』

金剛乗寺には立派な地蔵様が三体居られる。特に御内佛(おないぶつ・一般家庭の仏壇に当る)のお地蔵様は見事

な彩色像で、喩えようもなく美しく荘厳な姿で座っておられる。私はこのお像程に美しい仏像を知らない。

世界一美しいお像であると思う。

以前僕の娘がこのお内佛さまに頭から素麺を食べさせたことがあった。驚いた私は、生まれて初めてこのお像に触れ

掃除をした。お陰で、綺麗に刺繍され見たことも無いほど真っ赤な肌着を着ておられることが分かった。

私も極自然な親しみを地蔵菩薩には抱いている。

以前祈祷中にお見かけしたお姿は、女性と見紛うばかりに美しい姿であった。2メートルはあろうかと思われる長身に

信じがたいほど端正なお顔、真っ白な頭部。沙門風の鮮やかな衣はところどころ真紅の生地に金の文様が施されて

いた。泣きじゃくる水子の肩に手を乗せて、御身を倒して顔を覗き込んでおられた・・・・


今年 綺麗な田園を埋め潰して、大型の店舗が軒並み建てられた地域・・・・・そこでの出来事である。

そこにはかって塚があった。行き倒れた武士の遺体と武具一式、馬も一緒に埋められていた。地主は御霊を祀り、供

養を欠かさなかった。いよいよ建設が始まろうとするとき、彼は最後にもう一度 御魂抜きを頼まれた。

私は本堂に入り、その場を念じ、一切の霊を供養するために『施餓鬼』を始めた。

ご祈祷が始まるとすぐにその場所が見えた。なんと驚くべきことにお地蔵様自ら働いておられる!その場所の土を

汲み上げ、両手に軽々とバケツ抱えて、近くの川まで運んでおられる。そばには小さな童子が走り回っている。

お顔を拝見したいと思い反対側に回るが、見上げお顔は逆光に遮られた。そのとき私は気が付いてしまった・・・・・・・

地蔵菩薩のお衣が、ところどころに穴が開き、使い古しのテトロンの祈祷衣であることに!

・・・・それは私の衣だった。
平成17年某月某日      「寺の坊守のお祖母さん」

お寺の坊守様が亡くなったのでお葬式をした。

その数年前 同じお寺のご住職の通夜の折、坊守様のことはご本人から聞かされていた・・・(笑)

体格のいい妻で、よく二人で相撲を取ったものだ・・・菊池城の石垣に腰を掛けて町並みを眺めたなぁ・・・等など

ご自分のことは一言も無く、残していく妻のことばかり話された・・・・お姿が見えなかったので、体調が悪いのかと

思っていた。


さてお授けが済み読経・焼香と静かに式は進んでいるかに見えた。私は知らぬ間に瞑想に入っていた・・・

突然 どぎつい化粧、真っ赤な口紅を塗りたくり大柄の老婆が、私の目と鼻の先に飛び出して来た。子供がバ〜!

をするかのように笑っている。あきらかに私を脅かす意図らしい。まともではない心を感じる。自分の魂を失くされて

いる。驚いてあたりを見渡すと、式場は厳かなまま 遺族も静かに祭壇に向かい合掌しておられる。私の読経の声

だけが響いている。

式後 「随分呆けて居られましたね?」と言うと長いこと入院されていたと云われた。

心が病み、呆けるには長い時間のストレス・悩み・恨み・嫉妬などの原因が考えられる。山深く近くに家もない川の

傍に、小さなお寺を開きご苦労されたのだろう・・・・自分を殺して仕事をされていたのかも知れない・・・・亡きご住職

の気に掛けておられたことは、坊守様の心の有り様だったのかと思い出した。よろしく頼むということだったのだろう・・・・
平成17年9月某日      「夫婦善哉 − 最後のメッセージ」

他市で葬儀だけを済ませ、故郷の山鹿に帰ってきた御霊を迎え、初七日の供養となった。

初対面のご家族ではあったが、仲が良さそうで、温かな雰囲気を感じて心が安らいだ。

読経の途中 オレンジ色で「夫婦善哉」という文字が暗闇に浮かび上がる。劇的な演出だなと思っていると・・・

飲み屋の看板らしい。 ・・・? どうやらかなり昔の山鹿の堀明町、「上の寺」近くの裏道か・・・?

・・・ここで映像は 昼間の橋のたもとに飛んだ。・・・水掛不動尊・・・細い路地裏・・・聖天と書かれた提灯が並ぶ

・・・・道頓堀だ。私が高野山の大学生の折 一度だけ歩いた記憶がある。

まるで映画のシーンのようにカメラが路地を駆け回る。


読経を終えた。少し戸惑いながら奥様に尋ねた。ご主人はカラオケがお好きでしたか?「夫婦善哉」は?

・・・奥様は両手で胸を押さえられ、「その言葉を聞いただけで、私はもう十分・・・」と涙ぐまれた。亡きご主人の十八番

だったのだ。またつい昨年大阪を旅し、道頓堀を散策したという・・・。また亡くなった時も、「夫婦善哉」のテープを聴き

かれていたらしい。・・・・

・・・それを聞きながら、私の目の中にも火花が散っって涙が出た。


すでにご主人は旅立たれ、この場には居られない。己の死の瞬間、妻を思った念がテープのように残されたのだ。

それは時空を飛び越えて 再生された。

平成17年10月某日     「如意輪観音」

今年の夏、私は水子地蔵を建立しようと思い始めていた。たくさんの水子達の姿を見てきて、その健気さ、哀れさに

胸を打たれた。一家に一体ずつ可愛い地蔵尊を立て、亡き子供さんの代わりに抱きしめてあげれば、その思いは

必ず届くだろうと思ったのだ。・・・案内状を作り、お地蔵様の石像を作るために石材店も回っていたある日のこと。

巨大な台風が九州に近づいていた。私は観音堂を戸締りしながら、ふとお観音様の御像をしげしげと見つめた。

数百年の久しく星霜を経て装飾消摩し、お手は欠け、持物も亡くなっている。心が痛むが如何ともしがたい。・・・・

そのとき私と仏の間にカチッとなにかが繋がったかのように感じたが、さほど気に留めることもなく家に入った。

その日から不思議なことが起き始めた。

家内が土間で倒れこみ右足の腱を切った。子供が学校で右足を火傷して早退してきた。ついで私が廊下で躓き右足

を切った。・・・「なんか変だなぁ・・・?」と訝しがりながらも、それでもまだ私は気が付かなかった・・・・


ある日水子のお供養のとき、目の前に綺麗な女性が現れた。明るい水色の光に包まれた彼女は少し首を右に傾け、

哀しそうな表情を見せられている。あきらかに人の霊とは波動が違う・・・仏だ!・・・・観音さまなのですか?と聞くと

そうですと応えられると、姿を消された。

お参りが終わっても、長いこと考え込んでしまった。お観音様にお会いできたことは大変有難く光栄に感じたが、仏

が現れるのには何かの意図・メッセージがあるはずだった。思い当たらなかった・・・・・・・・

このことを総代さんにボツボツと話し始めた。この総代さんは大変に熱心な大師信仰の方で、私が当山の本堂の再

建に苦慮している時、仏の化身のように現れて、助けていただいたことがある。以来、いろんな出来事があるといつも

真っ先に報告することが私の喜びとなっていた。

 数日後総代さんがお寺にみえられ、観音堂を眺めておられたが、やがてこう云われた。

「この観音様を修復しましょう、お堂もこのままではいけない。修復することにしましょう!」

あまりの進展の早さに開いた口が塞がらなかった。全く思ってもみなかった方向へと状況は進み始めていた。観音堂

再建!如意輪観音像修復!・・・・いつも感じることだが、仏事は速い!遅れないように走っていかなくては!

そしてもうひとつ、お観音様は素晴らしいプレゼントを持ってこられていた。私が10年来求め続けていたもの・・・・・・・

・・・・・・・『法輪cakra曼荼羅』を。

平成17年10月/日       「生霊」

ある女性を愛しているが、男遊びがひどくて心配しているとお参りに来られた。

愛は人の根源的な欲求であり、エネルギーである。セックスは愛のもっとも崇高な肉体的表現となるが、性の過剰は

中毒のように、脳内ホルモンの依存状態を引き起こす。もともと両親からの愛情に問題があった場合、子供は成長後に

その不足分を異性に求めざるを得なくなる。自分という存在が不明なのだ。自分が親に必要とされているかいないか。

自分は存在価値があるのか無いのか?・・・・・・誰もが誰かにとって自分を必要な存在だと感じていて欲しいのである。

男も女も。そして仏も然り。

少し時間を取って読経を始めた。奇妙な印象の男が現れた。薄汚れた狐か狼のような顔。故人の霊ではない、生霊だ。

こちらを向いて、私を指差して何か叫んでいる。「お前なんかに負けないぞ〜!」という内容だ。次いで激しく床をたたき

始めた。とても高飛車な性格で、すでに人の心を失いかけている。いわゆる『憑かれた』状態だ。長い間この状態が続く

と人は人の魂を無くしてしまう。魂は変化し、『通』を起こす。つまり低級な神の霊力を身に付けることもある。

本人も知らぬ間に霊的な世界を飛び回り、身近な者をコントロールしようとする。次々と問題を起こし人々の心に苦悩を

生み狂わせ、「魔」となる。・・・・その女性の父親だろう・・・・怒りを感じた。

さてどうしようか・・・と思っていると、黒いコートを着てパステルカラーのフェイクファーのマフラーを巻いた女性が現れた。

見覚えがある。観音様だ!菩薩とはいえ柔らかな女性の気配がする。仏とは違う、もっと身近な存在だ。


読経を終わると、振り向き話し始めた。

相談者は以前彼女の父と会ったことがあるらしい。私の言うとおりの顔・印象・話し方だった。

また彼女が黒い服しか着ないことも分かった。多分邪悪な霊から身を守るための無意識の防御反応だろう。黒は霊には

見えないからである。また彼女は以前この父親に首を絞められたこともあり、それからは首の締まった服は一切着ない

という。「君は今から帰って、どこかで綺麗なフェイクファーのマフラーを買って、そこの観音様にお供えしておきなさい。

一週間経ったら取りに来て、その子にプレゼントしなさい。きっとその子を暖かく包み、守ってくれるだろうから・・・・・」


数週間後その方が来られて、長いこと続いた悪い遊びが無くなったと聞いた。・・・・でも、相変わらずこちらを振り向いてはくれ

ないんですよと漏らした・・・・・・・・  それはまた別の問題だから・・・・・またお参りにおいで!


可愛そうなのはその父親かもしれない。彼もまた誰かに悩まされ、苦しみ、押しつぶされ心を失った。己の「魔」に負けたのだ。


悩み多きこの人生の中でもっとも大切なことは

この身体の中にこそ、私たちと共に生きる準備を整え待っておられる仏や菩薩がおられることに、気が付くことである。

私たちは一人でこの永遠を生きているわけではない。

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の四季

法界日誌は,
この寺で起こった出来事の中から多くの皆さんに知って頂き・・・
この世界の真実、リアルな仏の姿、人生の意味に理解を深める一助となればと思い、書き留めたものです。
多くの迷信や倫理観、間違った仏教への認識を退け、カルトに走る事が無いように・・・
そして、仏のダイナミズムに触れる機会になりますように・・・・・(h21、11、21)
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