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Vajrayana
の四季



平成21年7月  心霊スポット

 御祈祷が少し空いたので疲れていたこともあり、寺務所で横になっていた。少しまどろみかけた時。

僕は戦いの中にいた。枯葉を身体の上に掛け身を隠そうとしていた。だが敵の兵士に気づかれ刀を突き刺されそうになり、慌てて

その剣を跳ね除けると、絶望的な最後の戦いに身を投じた。隣では同じように身を潜めていた兵士が、気が狂ったかのように

飛び起きると、大声をあげながら敵の群れの中に切り込んでいくのが見えた・・・


 急に場面が変わり、どうやら勉強部屋か会社の寺務所、男が頭を抱えている。「俺は駄目な奴だ!」と呟いている・・・。

少し時間が経ち、何か名案が浮かんだのかと思うと再び「俺は駄目な奴だ・・・」と呟く。・・・これが永遠に続く・・・。

 いつこんな霊夢を見るような祈祷をしたか思い返すが、覚えが無い。 首を傾げて次のご祈祷に入った。

友達と心霊スポットに行ったという若者。どうやら彼のせいだったらしい。成仏を願う霊たちが急いで訴えて来ていたのだろう。

田原坂。加久藤峠には若い女性や中年男性が大勢見えた。

 その霊の悲しみや苦しみを全部引き受ける覚悟があるなら、行けばいいだろう。

その夜 僕の子供が40度の熱を出した。




平成21年7月  心霊スポット 2

 あるご家族の御祈祷。お経も最後に近い。何事も無く祈りが終わろうとしていたとき、嵐のような緊迫感が襲ってきた。

そして魂が凍りつくような哀れな少女の亡霊が目に入ってきた。

ここでそのお姿を語ることはあまりに忍びない・・・。 どうやらこのご家族に関係無さそうだった。

その訳はすぐに解決した。実はその時、次のお参りのご家族が来られ、本堂の階段に立ち待っておられたのだ。

その方々に憑いていた霊を見たのだった。

天草のとある心霊スポットに行ってきたという。その翌日、玄関から自分の部屋の階段までびっしょりと水が滴っていた

のを見て、震え上がって来られたのだった。船が燃え沈み、少女が溺れ亡くなったらしい。

成仏する事が出来ただろうか・・・この晩再び子供が熱を出した。




平成21年8月  大山祇命(おおやまねずのかみ)

 とある信者さんの御祈祷中、不思議なものが現れた。ピラミッドのような姿、下の角(かど)は岩のように見える。

中央に赤や緑の線で縁取られた巨大な眼がある。日本古来の神では無いかと感じた。

どこかの神社にお参りされますか?お近くに神社があるのですか?と聞くと、商売繁盛のため「大山祇命ねずの神」を信仰しているとのこと。

最近新興宗教として世間を騒がせているらしい。綺麗な女神様だと教えられたらしいのだが、これが真の姿なのであろう。

とても元気なエネルギーに満ち、こちらに向かって歩んでくる、ピラミッドの角を揺らしながら・・・。

「大山」は巨大なピラミッド形の山そのものを表し、「ねずのかみ」とは本来「めづのかみ」と書くべきか。古来[つ]は 「おきつしま」(沖の島)とか

「さきつとし」(先の年)というように「・・の」という意味で使われていた。目の神、[
目つ命(めつかみ)]が訛ったのではないか・・・。


 しかし祈りが進むうちに、尋常ならぬ姿の女性の顔が見えた。

雰囲気 人間ではない。といって神でもない。半神半人・・・? 言いようのない苦しみと悲壮感がにじみ出ている。ミイラのようだ。

顔はとっくに肌の色を忘れ、堅く閉じられた目の周りが深い皺に覆われ、こめかみ辺りには青白い苔がむしているかのように見える・・・。

 話を聞けば・・・教祖は大変綺麗な女性だったが、もっと多くの人々を救わなければと祈り続け、食事も絶ち、皺だらけになり、

50過ぎの若さで亡くなっているのが発見されたという。

その逸話を聞いて、この方も信仰するようになったのだと言われた。

コメントは控えておく・・・


平成22年4月    追記

 少し・・・コメントしておきたい。

菩薩とは、どこまでも人である。身体も心も欲望も人間である。生きた身体に仏の意識を持ち、衆生済度に働くから尊いのである。

〈仏〉と〈自らの肉体と魂〉への深い洞察とインスピレーション・・・「理趣」の中に答えはある。

ここを間違えば、悟りへ到達出来ない。物質世界(エネルギー)と精神世界(ベクトル)は切り離す事の出来ない同じものなのだ。

仏陀は難行苦行の末それを捨てられ、中道へと進まれた。

欲望を切り捨て身体を切り捨ててゆく思想では、魂の真実に到達する事は出来ない。

おそらく彼女はストイックな自らの心情に心酔しすぎてしまった・・・当然ながら悪趣に墜ちてしまわれた・・・。

僕がこの方を霊視(見た)のもきっと何かの縁であるに違いない。心を込めてお供養を捧げたいと思い始めている。

誤解を招きやすいコメントとなったが・・・・理趣経の中にしかその答えは無い。



平成21年8月18日   山鹿三十三観音霊場 第一番札所移転 

 
山鹿には三十三観音霊場があり、正月には僕もいくつか廻る。

その第一番が山鹿ホテルの奥にひっそりと三重塔が建つ「紫雲寺」跡である。本尊は左脚を垂らした聖観音菩薩坐像。

そのホテルは数年前から経営が行き詰まり、売却先を探されていた。私も早く見つかればと何度か祈願した。

今年の七月半ば不動産の業者の方が訪ねて来られ、やっと売却先が見つかった事を聞いた。

残念な事だが、これでオーナーも一安心なことだろうと思っていたら、話は驚くべき方向へ向かった。

現在の建物すべてを解体して新たに病院を建設する。その際 紫雲寺も解体移転、そのほか隣接して建っている石碑など全部

移転したい!出来れば金剛乗寺にすべてお願いしたいと・・・!

暫く驚きに声が出なかったが、お観音様の意向を感じてすぐに了解した。だが最初に思い浮かんだのが、隣接して建っている

石塔である。以前から不吉なものを感じていた。

 そこで慈観と共に石碑を見に行った。その翌日から祈祷中にたくさんの武士たちが見え始めた。

並んでこちらに歩んでくる。先頭の数人は顔が見える。微笑んでいる。

邪悪な念は感じられない。挨拶しに来られたようだ。

だがひとり強い悪意を感じる霊が居る。念だけが残るそれとは違う。今もそこにいる霊だ。なぜなら僕に話しかけてくるのだ。

「私は貴方を知っているよ・・・」。その意味は分からない・・・

他の武士達よりかなり時代が近い。その他見分けの付かない膨大なイメージが流れ込んでくる・・・


 灯篭祭りが明けた翌日、くたくたの身体に鞭を打って護摩の準備をした。

ご祈祷に追われたせいで、準備が出来たのは夕方になった。慈観やお弟子さんたちが集まってきた。

先ず施餓鬼。次いで理趣経。目を開けると辺りは真っ暗だ。数本の蝋燭だけが闇に灯っている。

 このとき僕はあることに邪魔されて定に入ることが出来なかった。僕の問題では無く・・・ある事の所為に(笑い話なのだが・・・

石碑にいろいろと語りかけてみたかったのだが、残念ながらこの時は出来なかった。


 さて護摩。石碑の前にブロックで簡単な壇を作り、仏を呼ぶ。猛烈な暑さの中で印と真言と炎に集中する。

あっという間に2時間経っていた。炎は消え祈りは終わっていた。顔を上げるとお弟子さんたちは微動だにせず、土の上に

正座して合掌していた。皆僕と同じものを見ていた。慈観もまだ石碑を見つめている。土の上に絵を描き始める。

大きな目を描いた。おそらく生目神と大山杜松神、他に馬頭観音。そして武将達。・・・そして例の怨霊。

彼はおそらくここに住んでいたお坊さんらしい。慈観が見たその男は、顔の半分が真っ黒で半分が白かったと言う。


 この石碑はお魂抜きの修法して、川に流すしか無いな・・・と思っていた。金剛乗寺にはそぐわないという思いがあった。

金剛乗寺は多くの信者さんたちが救いを求めてこられる薬師霊場、法輪曼荼羅の里である。複雑にしたくない・・・

 しかし慈観はこの石が気に入ったようだった。何か感じ取っていたのかもしれない。慈観は自分が兵士だった事もあるが、武士が好きなのである。

菊鹿の慈観庵の最上段、本堂建設予定地の上にの段にお祭りしようという事になったのである。・・・思えば、当にこの方法しか無かったのだが。



平成21年8月28日   山鹿三十三観音霊場 第一番札所移転 後記

 今その観音坐像は美しいお姿を金剛乗寺の須弥壇の上に安置されている。ここにお運びする時、台座に「獅音寺本尊」と書かれ

てあるのが読めた。その後ホテルのご家族が28日の護摩祈祷に参列された折、紫雲寺の由緒のコピーを渡された。

それによるとこの寺は山鹿一族の菩提寺として建立され、寺名は獅音寺。 後 菊鹿の隈部一族によって紫雲寺とされた。

おそらくなんらかの事情により、山鹿家より隈部家に総代が代わったのだろう。双方は縁家であり、問題は無かったに違いない。

その後 肥後国衆一揆の折、菊池家和仁一族共々彼等は全滅した。死者は五千七百人に達したという・・・

慈観庵は銅鏡や刀が発見され、隈部城の一部ではないかと思われる。石碑は最も安らぐ場所を見つけたのかも知れない・・・。



平成21年9月*日   水星−虚空蔵

 東京の信者さんのお子さんが毎晩2時何かに怯えるかのように夜鳴きし、徘徊するという。

ご祈祷するが1週間もたない。また始まってしまう。ほとほと困ってしまった・・・・。

4度目だったと思う、
夕空が見える。大きな木の向こうに光り輝く星、水星。すると星が形を変え、あるシルシになった。見たことが無いものだ。

  

水星は虚空蔵菩薩の象徴である。おそらく虚空蔵あるいは文殊菩薩の印ではないかと思う。

この子は霊視が出来るのだろう。そしていずれは仏門に入ることになる。実際に霊が見えているのだ。

その事をお母さんに告げ、法輪曼荼羅、特に虚空蔵菩薩の真言を唱えるように電話した。

その夜からこの子の夜鳴きも徘徊もピタリと止んだ。



平成21年9月*日  結界

 結界とは仏の世界を作るとき、あるいは魔を退けるときに張るものである。  ・・・が。

日も暮れかかった6時頃。荒尾から熱心な信者のご夫婦がみえられた。心配顔のお二人。実母が危篤で数日のお命とのこと。

御祈祷に入る。お迎えが来ている感じは無かったので、少し安心して祈りを続けると、
「結界します!」というお声が聞こえ、

夕闇に沈む実家が見えた。家の周りに光るオレンジ色の線でカチーンカチーンと結界が張られるのが見えた。

何故家を結界するのか、その意味は今もって分からないが、僕の中に大丈夫だという確信が残った。

その後何度も御祈祷に来られ「大丈夫でしょうか?」と何度も聞かれる。当然なことであろう、心配で堪らないのだ。

だが、ご祈祷は最初の1回で決まっていた。 その後程なくして実母さんは退院され、もう1ヶ月になるがお元気らしい。

どなたのお声かも分からない。ただ有難いことだと思うばかりだ。



平成21年10月*日   守護霊

 若いご夫婦。博多でブティックを開店されたがなかなか資金が上手く廻らず困っておられた。

御祈祷中お店の真ん中に微笑んで居られるお洒落なお爺さんが見えた。聞けば祖父に違いないと言われた。

こんなお洒落なお爺さんが付いて居られるから、もう少しがんばってみましょうと告げた。

1週間後博多のご夫婦から電話があった。かなり驚かれている感じ。

訳を聞くと、何気なく通りかかった街角で、今まで買ったことも無いのにtotoを買った。それが大当たり。まとまったお金が入ったという。

これで仕入れが出来て、借金も返せますと声が弾んでいた。面白い事もあるものだ。

 
 ある大型スーパーの中にブティックを開いて居られる女性。もう1件店を開こうとお参りに来られた。繁盛してるらしい。

祈りの中、お店、働いている人が見える。聞いた人数より一人多い。すこしぽっちゃり丸顔のパーマを掛けたおばさん。

熱心にアイロン掛けか何かされている。年配の方も働いて居られるのですか?と聞くとそんな人はいないと言われる。

年齢容姿を言うと、急に涙ぐまれた。無くなられた実母さんらしい。実は以前からずっと側にいてくれている気がしていたという。

お店も繁盛するわけである。


 いつも聖天さまに来られる熱心なご姉妹。もう1件公文の教室を開きたいという。以前から願っていた教室が空くらしい。

お参りしていると、教室の多分北側、真っ白い壁の前に、これまた真っ白な髪に真っ白な着物・・・かなりの雰囲気(;)で老婆が笑って居られる。

聞けば祖母さんらしい。相当のパワーだ。この教室には是非持ちたいという強烈なライバルもいたが、問題なくお二人が勝ち取った。


・・・僕は以前あまり先祖供養に熱心ではなかった。最近考え方が変わってきたのはこんな守護霊の方々のお姿を見たからである。



平成21年11月20日8月6日  大山杜松の神 後記 ・・・・・目の神の系譜 「プロビデンスの目」

 或る方を霊視したときのこと・・・ターコイズブルーの美しい眼をを見た。透明な水晶体の中で青い瞳孔が開いたり窄まったりしていた。

だがそれは大山杜松の神や生目さんのように眼だけではなかったように思う・・・男の顔の輪郭が感じられた。右の目である。

神ではないかと思われた、神々しく、真っ直ぐこちらを見ていたから。普通の人間なら、僕を見つめることはない。僕の存在に気づかないからである。

 その信者さんは毎年伊勢神宮に詣でるのが習慣になっていると言った。ひょっとすると伊勢の神々の誰かが見えたのかな・・・などと話していたら、

僕が見た大山杜松の神に似ているというので教えてもらったものがある。「プロビデンスの目」である。

サイトで調べてみると、正にそのまま、本当に酷似している!!!日本の神はユダヤに関係しているのではないかとも言われているらしい・・・

唖然としてしまうが・・・嘘や伝説ではないのかも知れない。

・・・瞳の神の系譜・・・・

  

 これは御祈祷しながら霊視したものを書き留める御祈祷帳、法界日誌。出てこられた霊や神々、魑魅魍魎・・・の姿をスケッチしておく。

その平成21年8月6日に走り書きしたもの・・・おおやまねづの神である。

プロビデンスの目の絵と比べてみて欲しい。なんと左目であるところまで、瓜二つである。

ちなみにノートの下方にミイラの女性と走り書きしてある・・・



追記(11月21日)


 祈祷日誌の中からプロビデンスの目に酷似するものを探してみた。上記以外にも2〜3在った。結構多い。

 福岡との県境近く、山深くの村から来られた女性は頭痛が治らないと言われた。

そのとき見えたのが、樹木に覆われた山に大きな目が一つ・・・山ノ神である。聞けば、山の神と稲荷が年交代で村中を廻っているとのこと。

今年はその女性の家の番であった。

  

これは1000円札の野口英世の左目である。お札を透かして見ると富士山が重なりプロビデンスの目になる。よく似ている。

 また、八代の妙見さんだったと思うが、断崖にそそり立つ巨大岩石に一つの目だった。

総代さんをご祈祷していたとき、見えたものが山に一つ目で、権現さんに詣でて来たと言われた。

先の第一番札所の紫雲寺の石碑にも、一つ目の神が見えたと慈観が言っていた。


 これは個人的な所見だが、「プロビデンスの目」それ自体世界中に遍在する山や巨大岩石の精霊ではないか。

ことさらにユダヤ系民族だけが信仰する いわゆる「神]の目ではないように思うのだが・・・・


ひとは、物質をそしてこの身体をも超越して成長し続ける。その魂を導く存在とは思えなかった。



平成21年12月23日   小隊長の霊

家内のお父さんが脳卒中で倒れられた。それほどひどくないだろうと思っていたら、慣れない病院生活ですっかり衰えられてしまった。

このままでは危ないと思ったので御祈祷することになった。すると戦場に立つ隊長の姿が見えた。顔が緑色に光り怨念が感じられた。

そういえば一度高野山参拝した夜、お宿で何かに怯えて声を発せられ、両手で払いのける仕草をされていたのを思い出した。

戦場で突撃して伏せ、次の突撃の号令の時には両脇の仲間はもう立ち上がらなかったという。こうして突撃の度に隊の人数は激減した。

最後に「あの丘に軍旗を立ててこい。」と隊長に命令されたが、足がすくんで動かなかったという。そこで隊長は自ら軍旗を持って走り、

旗を立てた後撃たれて亡くなった。父はオレが死ねばよかった、あの時死んでいればよかったと娘に語ったことがあるという。

 お父さんは65年間もその霊にうなされて居られたのか・・・・


 数日後竹崎の観音堂に縁日のお参りに行ったとき、本尊様の声で「一度家に帰らせなさい、そうすれば数日で体調が戻るでしょう。」

と聞こえた。すぐにそうすればよかったのだが、いろんな手続きでそれが遅れてしまった。やっと帰宅を果たされたが、すっかり弱り食事を

する事もできなくなっていた。私は心の中でもう無理かもしれないと思った。

 一ヵ月後再び観音堂の縁日でお参りした時、70パーセントの可能性で回復されるでしょうときこえた。

半信半疑で何か私の聞き間違いではないかと思い、このことは誰にも話さないでいた。だが・・・

父は突然急速にお元気になられ、大声で時々は義姉を叱られるようになったと聞いて、思わず笑ってしまった。ありがたい!

南無十一面観世音菩薩・・・

それにしても、戦後65年になろうとする時、未だに成仏されていない戦争犠牲者の方がおられるという事実。

 残された者の責任かもしれない・・・





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