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(ショッキングな内容を含みます。)
Vajrayanaの四季
平成22年2月13日 『大型スーパーの中の霊』
県内の大型スーパーの店長さんがみえられ、店舗内で事故が多発し、従業員の皆さんが不安がっているので「お払い」をと言う事だった。
一度目は金剛乗寺でご祈祷した。店の中にまだ買い物をされている霊が見えた。二人だったように思う。おそらく呆けた方でまだご自分が亡くなったことに
気が付かれていないのだろう・・・それと土地自体の何か・・・。
2度目は店舗内の事務所で地鎮祭と施餓鬼供養をした。寺でご祈祷したのでもう何もあるまいと思っていた。
だが読経の中、狭い事務所の壁の中からお婆さんが現れ、挨拶された。歳は80過ぎくらい、重たそうなコートを着られ、丁寧にお辞儀をされている。
おトイレでお婆さんが亡くなられたらしい。仏の慈悲を受けて成仏されたと思う。
こんな風にお供養をしてもらえる魂は幸運だと言えるのかもしれない。なぜなら、この度のハイチやチリの巨大地震で亡くなった方の殆どが
救われる事なくまだその地に居られる事だろうと思う。
何万と言う魂は、落ち着きを取り戻した後やっと執り行われるだろう慰霊祭まで彷徨うに違いないからだ。魂に時間は関係ない。中には永遠に
彷徨い続ける霊も残されるかもしれないと思うとき、生きている時に自らのために、功徳を残しておくべきだとも言える。
こんなことを信者の方から聞いた。その方のお父様は高齢であったが、お元気だった。ある朝お食事中に突然その方の心臓は動きを止めた。
瞬時に最後を悟ったお父様は、その場で箸を置き、合掌されて息を引き取られたという。
平成22年2月某日 特攻兵の霊
ある有名な学者の方が倒れられたと電話が入った。
すぐに祈祷に入る。原因は亡くなられたお兄さんらしかった。
お兄さんは特攻隊員で、見事にその任を果たしキリモミ状態で墜落されたと遺族には伝えられていた。だが真実は異なっていると思われた。
特攻の前日精神に異常をきたされたその方は、拳銃で自らの命を絶ったのである。
どちらから頭を打ち抜けば、被っている帽子に穴が開かずに済むか考えておられた・・・
仏はこの方を救われ成仏を得る事が出来た。病は命に関わる事は無いと感じた。
平成22年4月6日 パワースポット 都井岬 岬神社のワダツミ
今日岬神社に詣でてきた。十数度のここを訪れたが気が付かなかった・・・石碑が立っている・・・
底綿津見命 中綿津見命 上綿津見命三神を祭るとある。そこわたつみ・・・? なんとワダツミの命である!
やはり私が見たものはワダツミの神だったのだ。改めて、1時間ほど音楽を献じ瞑想に耽った。
僕がここを訪れたとき、県の職員の方が来られ、整備計画を練っておられた。文化財に指定されのだ。
その方々にも伝えた事だが、もしここに詣でられるのなら、知っておいて欲しいことがある。
岩に作られている神社には御神霊は居られないと。御神霊はあくまでも真正面の海自体である。
神社には以前にも書いたが、チンピラ稲荷が入り込んでいるだけである。
それにしても、心が澄み切り浄化されるパワースポットである。
ジュラシックな雰囲気の森を抜けると、鳥居があり、そこを降りると急に大海原が出迎えてくれる。この真正面の海に綿津見が待っていてくれる。
岬の先っぽに石で作られた小さな鳥居があるが、その向かう先は海ではなく、切り立った崖に作られた神社である。
私が綿津見を見たのは、画面右下、この岩の上である。
この岬には綺麗な小川が流れ込み、この岩の下で滝となり、海に流れ込む。
無邪気な子達はこのパワースポットの真ん中で、滝の少し上の小川で、まだ4月だというのに水浴びをするのが毎年の倣いとなっている。
綿津見の命のご加護を賜れれば有難い事である。
平成22年4月20日 親友の夢
18日朝方若くして亡くなった僕の大親友が夢に現れた。黒か紺のスーツに同じ色のネクタイ。
机の向こう側に座り、真正面からこちらを見ている。綺麗な晴れ晴れとした笑い顔。
「何だお前元気で居たんだな、癌だと聞いたから心配していたぞ。」そう声を掛けた。嬉しかった。心から再会を喜んだ。コイツガ居てくれるなら心強い。
ほらものすごく元気だよ、手術の痕もないだろう!というふうに裸になりお尻まで見せてガッツポーズで笑った。若いときのままだ。
朝起きてとても不思議な気がして家族に告げた。今まで一度も夢に見たこともなかった。なにか僕にお願いでもあったんだろうか?
その訳は夕方分かった。お葬式の依頼の電話が掛かった。亡くなられたのは親友の叔父で、ご家族は檀家に入られることを希望された。
[よろしく頼む。」ということだったのだろう。
平成22年4月29日 三昧の風に薫るや・・・
この度九州八十八ヶ所百八霊場会に入る事となった。父は関心が無かったらしいが、山鹿観光の一助となればと思い決めた。
さて、この際金剛乗寺のご詠歌が要るということで、作ったのがこれである(汗・・・。
三昧の 風に薫るや 薬師仏
山鹿 湯の寺 法輪の花
三昧というのは絵画三昧とかパチンコ三昧というように、没頭している状態のことである。〈理趣三昧法要〉から来ている。
理趣法を修し、識衆は理趣経を唱える。宗教的な没我の境・恍惚を三昧と名づく。
本来は「さんまい」と濁らないが、理趣三昧と続けた場合、リエゾンして「ざんまい」と読む。
だからこの場合 「さんまいのかぜにかおるや・・・」 となります。
「山鹿 湯の寺」はいいとして、「法輪の花」ってなんでしょう?
これは法輪曼荼羅の七つのポイント(九つのチャクラ)、全部で十七尊の仏菩薩を指します。これらの法輪チャクラを花と呼んでいるのです。
法輪曼荼羅の花の薫りは、我が祈りと共に風に乗り届きましたか、お薬師様?
という意味に捉えていただければ幸いです。
平成22年6月15日 お大師様に会う!
当山の総代で熱心なお大師様信仰の方が居られる。その方の家には立派な蜜壇があり、お大師様のパネルが本尊として祭られていた。
お若いときにお山(高野山)に登られた折、仏壇店で買い求められたものであり、数十年もの間このパネルを大師様として心を込めて慕い、
大事にお参りしてこられたのである。だから総代さんからこのパネルをちゃんとした掛け軸に整えたいと言われたときも、
印刷物ではなく絹表装の大師像を求められたらいいなどという馬鹿げたことを言うことも無く、直ちに仏壇店に手配したのでした。
さてこのパネルは京都に送られ、2ヶ月以上も掛かけ、念入りに煌びやかな金襴の衣を纏い、当山に戻ってこられました。
それもなんということか、ちょうど6月15日、弘法大師御生誕の日に。
さてその2日前、そのご自宅に月命日の為ご仏壇でお参りしていたときのこと・・・
いつものようにご仏壇は静かで平安だった。お経も終わりがけ、今日も何も見えないな・・・と思いかけていたときだった。
突然目の前に桧皮色(ひわだいろ、ヒノキの皮から採取した赤茶色)の衣を着たお坊さんが右の腰を下に横たわり、
静かにこちらを見て居られるのが見えました。 誰だろう? ・・・・
場面が移り、白い石で作られた家のようなものが見えます。そこで「声」が聞こえてきました。
・・・・・私がここに入ったとき私は生きていた・・・・そして・・・・
なんと! お大師様・・・弘法大師 その人 ・・・・・
僕は宙に浮いたようなショック状態のまま座敷の畳の上をフワフワと飛んで、ご主人の居られる机にしがみ付いた。
平成22年6月15日 高野山奥の院
紀州高野山は弘法大師が開かれた修行道場である。山全体が一つの寺、金剛峯寺と呼び、中心は壇上伽藍、50を越す巨大宿坊が立ち並ぶ。
その奥の院、住職はお大師様である。毎日2回お食事を運び、大師の瞑想を妨げないように 鐘を叩く事は無い。
「ありがたや 高野(たかの)の山の岩かげに 大師は今もおわしますなり」
これは天台の歌僧 慈鎮僧正の歌であるが、大師がその入定後の肉身を留めて居られるのが、まさに「岩かげ」・・・私が見た白い石の塔である。
なんと今まで一度もお姿を拝見する事が叶わなかったお大師様にとうとうお逢いする事が出来た!それも檀家様の仏壇の前で・・・
熱心な信仰には坊主も敵わない、頭が下がる。
だが、何故お元気なお姿のお大師様ではなく、お床に伏されたお姿を見せられたのだろうか・・・。
そこにお大師様のこの方へのメッセージが込められていると思うのだが・・・。
生きた身体に仏を宿し、菩薩として永遠の時を生きる・・・それがヒトなのだと
平成22年10月11日 転法輪 チャクラ
最近 御祈祷中法輪<チャクラ>を見かけることが多くなった。お参りに来られた方のお体のチャクラが見えたりする。
内臓や骨・脳など以前から見えることがあった。背骨の何番目がずれているとか、子宮がお悪いとか、もう少しで脳卒中になられる・・・・などなど。
しかしチャクラが見えたことは無かった。厳密に言えば、見えていたかもしれないが、チャクラとは気が付いていなかったのかもしれない。
それは今まで転法輪として教えられてきたものと全く違った形だったからだ。
この画像が所謂「転法輪」というものである。
だが、実際の転法輪(チャクラ)は完全な円で、画像のような車輪のスポークは無い。全くCDのように見える。
小さな波が幾重にも重なり波紋のように揺らめいて広がっている。また中央に穴があり、なにか管・支柱のようなものが突き抜けている。
ここで思い出すのが如意輪観音の印である。 (如意輪観音の印参照)
両手のひらを外縛して合わせ、人差し指を立て合わせ宝形(如意宝珠)にし、中指を立て合わせ円にする。
この円が法輪(チャクラ)を表わしている。
ここでもう一つ重要な印がある。それは「大金剛輪印」である。
先ず両手を内縛して
次に中指を立て合わせ円にする。その円の中に人差し指を突き通すようにする。これが大金剛輪印である。
修行の折、おそらくこれは以下のように説明されていると思う。
中指が表わすのは金剛輪の輪であり、人差し指は車輪のスポークの部分であると。つまりこの部分である。
僕は以前からこの解釈、この理解の仕方に妙な違和感を感じていた。何故、一部分なんだ?
実際のチャクラを見てその謎が解けた。人差し指が意味しているものは、車輪のスポークなどではない。
僕が見たチャクラはCDのように真ん中をなにか管のようなものが突き通しており、それを中心にして回転していた。
人差し指が表わしているものは、この管なのである。
ここで不動明王の印を見てみよう。
人差し指が上を目指す剣の形になっている。生きる力、意思を表わしている。
つまり・・・・・・・・・・大金剛輪の人差し指はスポークではなく、すべてのチャクラを突き通し、頭頂の中台八葉院まで達する管、支柱を表わしているのだ。
それは取りも直さず不動明王の剣は背骨・脊髄を意味すると言う事でもある。