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Vajrayana
の四季



平成23年1月12日   『 三昧の風に薫るや薬師仏 山鹿 湯の寺 法輪の花 』


 実はこの御詠歌は、あるときの体験を詠んだものである。

 とある勤行の時・・・お経を読み始めて少し経っていた。突然何の前触れも無くご本尊を安置するの後ろの壁全体がいきなり抜け落ちた。

「エッ!?」と思った瞬間に、奥からものすごい光が差し込んで、何も見えなくなった。

大きな伽藍の本堂の中に居た・・・床は石が敷かれている・・・僕はその石の上に額づいた・・・数秒後か・・・気が付くといつもの本堂に戻っていた。

仏の光を感じた。 今までで、一番有難かった瞬間である。

 このときから御祈祷に入るとき、必ずその時の光景を思い出しながら三礼をすようになった。

この場所は法界と繋がっている。



平成23年2月21日   メッセージ (1)

  
 ある真言の若い僧侶から電話を受け取った。今勤めているお寺は大変檀家が多く、命日参りも慌しくお経を落ち着いて読むこともままならぬ程。

心が荒んで居られる様だった。電話の向こうにお顔が見えた。可愛い感じの方である。僧として生きることを望んで、出家・修行されたのだろうが、

生きる希望の見えない毎日らしかった。ご祈祷をすると、悩み憂いを帯びた暗いお顔が浮かんだ。ご本人だろうか…

 仏様からのメッセージが入った。

 「古いタイプの役に立たないコートは脱ぎ捨ててなさい、新しい軽くて温かいコートを持っているでしょう、それを着なさい。」という内容だった。

言葉ではない、映像を伴ったインスピレーションである。

 折り返し電話をすると、実は御祈祷寺からお誘いがあったという。そちらに行こうかと思っているとのことだった。



平成23年2月23日   遥かな美しい道



 疲れ果てて今にも倒れそうな感じの青年、黒のタイトなパンツにブーツ。

ご祈祷をすると、一番下の仙骨、腎臓辺りの五大明王のチャクラの上に性腺・愛染明王のチャクラ、内蔵・地蔵菩薩のチャクラなどが次々と落ちてきて

重なりあい、水が漏れてその下の地面までびっしょりと濡れていた。おそらく生きる力も愛欲も生命エネルギーも枯れ果てているはず。

おまけに仙骨の下に水子の霊が立っていた。

聞くとギタリストを目指して東京へ行き、10年頑張ったが芽が出なかった。帰る前に付き合っていた女性との間に生まれた子供を下したと。

故郷で仕事を始めたが生きる希望も夢も無く、死んだように生きていた。も一度ギタリストとして頑張ってみたいという。

仕事場の社長に一度金剛乗寺に行けと言われたらしい。

チャクラを正常に戻すように瞑想していると、目の前に大高原が広がっているのが見えた。その真ん中を大きく綺麗な道が真っ直ぐに続いている。

道は真っ直ぐ丘を登りその先は見えない。成功するかどうかは分らない。だが、その美しい道は彼が歩き続けるに相応しい道である事を示していた。

ギタリストは「美しい道だったんですね・・・。」 と呟いて、東京へ戻り再スタートへの意志を固めた。



平成23年6月21日   東日本大震災



 あまりの出来事に、法界日誌を付ける気持ちにもならずにいた。だがここ一ヶ月やっと落ち着いたので、少し書き残しておく。

大震災の翌日から当山では約2ヶ月犠牲者の霊を弔い、被災地の復興を祈念して御祈祷を続けた。

翌日の祈祷では目を閉じると瞬時に津波の中だった。 真っ黒い海の中に膨大な瓦礫と信じられないほどの人々が漂っている。

沿岸では、ずぶ濡れの長い髪 全身が紫色の傷だらけの少女の霊が哀しげにこちらを見つめていた。この方が最初にお救いした霊だった。

不思議に思えたが、最初の数日間は幼い子供達ばかりだった。大人の方を見かけない

おそらく波に飲み込まれた時、瞬時に死を覚悟されたのであろうか・・・。

ほんの数分間で3万人以上の方が亡くなられたのである。膨大な霊は日本中に救いを求め広がっていった。

私もどのようにすれば、数万の人の霊を供養出来るのか分からない。

夜中に起きると、台所に数名の亡霊が立っていて、供養を求めている時もあった。

震災後爆発的に風邪が蔓延したが、それは霊が助けを求め供養を求めてのことだった。

当山に風邪が治らないからと来られた方々のずべてが、見知らぬ震災の霊に憑かれた方々であったことから、そう確信する。

私も同様、喘息の発作が起きて息も出来ないほどの状態が2ヶ月ほど続いた、このままでは身体が持たない・・・・そう感じていた。

風呂に入り少し目を閉じると、3〜4歳の女の子の悲鳴が聞こえる。波にもまれ「助けてー!たすけてー!」と叫んでいる。僕の左の腕にしがみつくと

「あ〜助かった〜!」と安心して微笑んだ。おかっぱの可愛い子・・・遠くではこの子の父親であろうか、男の霊が怒り狂って叫び、悪霊化していた・・・。

最初の数日間は、通常の御祈祷が出来なかった。目を閉じ祈祷を始めるとすぐに津波、真っ黒な海、膨大な方々の姿・・・。

御祈祷の出来る状態では無かった。訳を話して、帰ってもらったこともあった。

ある風邪の女性をご祈祷しているとき、被災地の瓦礫の上を歩くお観音様の後ろ姿が見えた。長身、頭の上に丸く上げた髪、そして長い衣・・・

だがその衣は黒である、黒衣を着られたお観音様はおられないはず・・・。だが、紛れも無く確かにお観音さまである。

その御祈祷の数日前に、とある檀家の方から観音像を二体頂いて、壇の上に安置しておいたのである。どうやらそのお一人であると感じた。

「黒衣の津波観音」・・・・これからずっと犠牲者のお供養にお祭していかなくてはならない。


 ある朝、まだ暗い時、布団の上に本当に幼い男の子が立っていた。家族で食事に来ていたのだろう、まだその食堂の前に立って、

ご両親が来るのを待っているのであった・・・・この子が僕がお救いすることの出来た最後の方となった・・・・

その日以来全く、震災の犠牲者の方々を見かけることがなくなったからである。ほぼ3ヵ月間日本中のお寺で震災の霊を弔う法要が続けられた・・・

僧侶だけではなく、日本中の方々が自覚するしないに関わらず、霊を弔ってきたのかもしれない。幾多の霊は風邪となり日本中を彷徨ったのだから・・・。

 私の中にも「何故」という言葉が今もある。福島原発の中に不気味な、邪悪な存在を見た・・・

天空から被災地を見つめさせられた時、不思議な声を聞いた。その言葉はここには書けない。



平成23年9月23日   コンサートの舞台裏で


 同日 慈観庵ホスピスのベッド購入のためのチャリティーコンサートが開催された。 その模様はまた後ほどお知らせしたい。

リハーサルが終わり、ミュージシャンの方々は舞台裏でひと時休まれていた。僕も挨拶の内容を考え終わったので、少し横になった。

するとすぐに横に休まれていた或る高名なミュージシャンのご婦人がチョコンと僕の組んだ足の上に座られるのだった。もちろん魂。

ほんの少し小首を傾げて、微笑まれている。不思議な方だ・・・ちょっと びっくり。 しばらくすると、今度は声が聞こえ始めた。

「左手が痛い、怪我をした・・・」 30代の男性・・・明らかに霊だ。キョロキョロ辺りを見回す。

先ほどのご婦人に問いかけてみると、ものすごく左手が痛んで、演奏にも支障を来す程だという。 聞けば29歳の甥がバイクの事故で亡くなっていた。

そのあとも数度その方の近くにいると、声やイメージを感じた、バイクの事故の様子、その道路など。

実際怪我は左手だけでは無く、全身に及んでいたらしい。だが本人にその自覚が無い。亡くなっている事にも自覚が無かったようだ。

 コンサートが無事終了し、別れたとき、すでに腕の痛みが軽くなっていると言われた。



平成23年10月9日  夕日の意味


 若いご婦人。ご主人は真宗寺院の副住職で、今はまだ会社に勤めておられる。

今年になり突然ご主人が荒れ始め、家にいると落ち着かない様子。すぐに外に出かけると遅くまで帰らなくなった。

果ては、離婚してくれとか、俺はどこかに行って放浪するとか・・・。

ご祈祷する。

 必ず見えるだろうと思っていたご主人の姿はまったく見えない。おかしいなと思っていると、突然目の前にとても小さな黄色い野花。

とても細長い茎の先に咲いて、夕日に輝いていた。 ・・・意味も分からないまま、祈りを続ける。 すると今度はその花に光を投げかけていた夕日が、

逆光の暗い森の木々の向こうに燦然と光輝いて浮かんでいる。 とても眩しい。 

 ・・・数秒経ってから、今自分が見たものが、とても普通では無かったことに気がついた。以前似たようなものを見たことがある。日誌にも書き込んだが、

木々の間から見えた金星のことである。金星は虚空蔵菩薩の象徴である。弘法大師は金星を本尊として、虚空蔵の法を修し、霊験を得られた。

では夕日は・・・西方阿弥陀如来だろう。では、小さな黄色い花は・・・ご主人そのものを表しているのだろう。

 多分この方は寺を継ぐということに相当の絶望感を持っておられるに違いない。 浄土系の教えには、修行者の為の手掛かりが無い。

多分何をどうすればいいのかも、まったく分からないことだろう・・・。 お寺を継ぐ意味・価値・・・その喜び・自分はやっていけるのか・・・?

だが、その真摯な心はやがて必ず仏へと繋がるとおもった。



平成23年10月18日  水色のカップラーメン  


 まだ小学5年生の男の子なのに、まったくご飯を食べない。そればかりか水一滴、水分も取らない。勿論入院、点滴で命を保っている。

 ご祈祷すると・・・ 首塚 (土地の因縁らしい) ・・・ アパートの入り口 (鬼門に向き陰気くさい) ・・・ 

次に彼にとっては曾お祖父さんあたりの霊がカップラーメン2個とともに現れた・・・。水色の変わった模様のある蓋が付いている。

数分後、「あ〜美味しかった!」と、満面の笑みで笑って出てこられた。

何の意味か分からないが、 今晩からでも食欲が出るだろうと思った。 水色のカップラーメン・・・多分 膵臓の病気ではなかったのか・・・



平成23年10月31日  施餓鬼別座法要


 今年も施餓鬼別座法要の時が来た・・・

10月1日の[施餓鬼・理趣三昧法要」に続き、各家ごとに先祖供養し、その土地・店舗すべての地縛霊・その他もろもろを供養して、清浄ならしめてゆく・・・

これが毎日の御祈祷の合間を縫って、数十軒続くのだから大変だ。

 何事もなく平穏安泰な家ばかりでは無い、いやむしろ少ない。

続く



平成24年2月10日   Tonino Bariardo

 ここ数日・・・気がつくとGipsy Kingsのギタリスト Tonino Bariardoのことを考えている・・・。どんな男なんだろう・・・と。

 "Lagrimas" ほど優しい曲は無いなぁと思う・・・ "Inspiration" ほど綺麗な曲は無いなぁと思う・・・

今年の山鹿 「灯篭浪漫 竹明かり」では一晩中 "Lagrimas" と "Inspiration" の2曲をかけつづけているけど、飽きない。

以前は喜多郎の四国八十八ヵ所のテーマ「飛天」も流していたが、今年はこの2曲に絞った。

"Inspiration" を聞くと 三好達治の「甃(いし)のうへ」の詩を思い出す。

弦の爪弾きと詩中の桜の花びらの散る音が重なって感じられるのは、僕だけでは無いだろう。


     甃(いし) の う へ
            
            あはれ花びらながれ
            をみなごに花びらながれ
            おみなごしめやかに語らひあゆみ
            うららかの跫音(あしおと)空に流れ
            おりふしに瞳をあげて
            翳(かげ)りなき寺の春をすぎゆくなり
            み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
            廂(ひさし)に
            風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
            ひとりなる
            わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
                              
                              (詩集「測量船」より)

  
 最後の「ひとりなるわが身の影をあゆまする いしのうへ」

・・・に、この詩人のリアリティーがある。自分の悩みや苦しみを静かに胸にしまって歩んでいこうという意思。

同じように・・・花びらが散るように弾く音の奥底にtoninoの心に棲む存在に対する苦しみとその昇華を感じる。

おそらく彼は・・・心にかなり深い傷・・・を負っていると思う。未だに治らない傷・・・

この天才にとってギターと曲を作ることに努力は要らなかったはずだ。 

同じように・・・

・・・すべての人々にも天才が在る。 生きる苦しみや迷いと同時に、それらを清らかに燃やして、花となす・・・その方法を持っているはず・・・

知らず知らずのうちに、全身全霊を傾け、必死に、恋焦がれるように、没頭する・・・何かを必ず持っている。

全身全霊で欲することに、良いも悪いも無い、綺麗も汚れも無い。

「・・・不生不滅 不垢不浄 不増不減・・・」  である。 

心と身体の望むままに突き進む・・・その先に菩薩が待っておられる。

私はそんな貴方を必ずサポートする。



平成24年3月12日   「二人で一人」


 御祈祷中にお観音様が現れ、「私と聖天は二人で一人ですよ。」と告げられた・・・



平成24年3月15日   物の怪



 ある中年の女性をお参りしていたとき、ふとその娘さんのことが見えた。

黒のシルクハットを被ったキツネ(神社に祀られている稲荷とは姿が異なっている。野狐というべきか・・・)、まだ若い。

そのことを告げると、心当たりが在るのだろう、数日後連れてこられた。

聞けば、数ヶ月前からその稲荷と知り合いになったと語る始めた。その帽子も彼女がプレゼントしたものだと言う。

熊本城の稲荷大社に二人で詣でて、お守りを二人分買ったと。

四六時中この稲荷は彼女に憑いて、話をしかけてくるらしい・・・

どうしてこんなモノノケと仲良くするのかと聞くと、「だって怖かったんです!」と大声で泣きなじめた。

おそらく、彼女がたまたま不安定な心理状態であったことと、美しい女性であったからだろう。 危険な状況だった・・・。

 この野狐とも言うべき存在は、まさしく物の怪の最たる存在である。力は持たないが、人の心の一番弱いところを攻撃して・・・

やがてその人間を自在に操るようなる。 人は仏から遠く離れ、救いの手が届かない場所へと連れて行かれる。

これまで、稲荷大社とこれらキツネなどのモノノケとの関係を詳しく調べた事など無かったが、

今年、法輪曼荼羅の諸尊の力を仰いで・・・物の怪の正体を調べていかなくてはならない。
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