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Vajrayana
の四季
平成24年5月某日   火葬の話



 
ある方の若い女性の御祈祷中。 数ヶ月前に亡くなられたお母さんが灰だらけの姿で出てこられた・・・

とても恐ろしかったと言われた。

不思議に思いその方に訳を聞くと・・・お葬式の前に火葬をしたと言われた。 実はその時その女性もお母さんの声で

「怖いよ、寂しいよ・・・」と聞こえたと・・・。

お葬式は亡者に対し、己がすでに亡くなっていることを諭し、仏へと導く「引導作法」を行う時間である。

引導作法もせず、お位牌も無い時に身体を焼くことは、人を生きたまま焼くのと変わらない。

身体も無く、位牌も無い時、人の魂は一体何処に居ればいいというのだろうか?

 その後 その方の妹さんが来られたとき、同じような事を話された。

数度母の夢を見た、母が燃えている夢だった・・・・と。

 最近時間的なことで、葬式の前に火葬をすることがあるらしい。

当山ではそのような事はさせない。許されないことなのである。





平成24年11月9日   「さくら湯」開湯法要 慶讃文


 
この度さくら湯が完成し、落慶式を迎えることとなりました。

その記念として、式典のおり読み上げる慶讃文を載せておきます。

多くの皆様が新しい「さくら湯」に入られ、薬師堂の方にも参詣されればと幸いです。


慎み敬って 真言教主摩訶毘盧遮那佛

両部界諸尊聖衆

殊には山鹿薬師堂 医王山浄瑠璃寺

本尊薬師瑠璃光如来

  日光月光 十二神将

   当山鎮守弁才天部類眷属

総じては

 佛眼所照三寶慈悲境に白して言く

  夫れ以れば

「倭名類聚抄」にも見らるる山鹿温泉は

平安の御代より一千年の名湯なれども

室町時代の文明五年突如として枯渇す 

此処に至り宥明法印勅願を受け

この地に医王山浄瑠璃寺を建立

至心に勤念す

法印の不借身命の願いに本尊感応し

 天を覆う邪気魍魎を払い

清浄の瑠璃地と成し 降臨し給う

此処に温泉再び湧出するを得て 

江戸の御代には「山鹿千件盥無し」

と唄われしものなり

殊に宝暦十三年の山鹿町絵図に

細川藩の御前湯・御次湯・外湯・馬立と

記さるる「さくら湯」は

爾来三七〇有余年

山鹿の歴史と共に歩み来たれり

此の度「さくら湯」は「再生基本構想」に

基づき建設工事に着手され

伺候して落慶・開湯の大吉辰を迎う

重ねて以れば山鹿温泉は宇野親治公

山狩りの折 手負いの鹿湯浴みするを

その濫觴とするとも伝うべし

本来本尊の薬壺より湧出した

閼伽の薬湯なるが故に

身病百種にして心疾万品と雖も

 能く一切群生の衆苦を除き

惑業煩悩の闇夜を破し玉う

年々歳々十二月二十日薬師堂にて

諸法皆空の玄理を讃揚すは本尊の

威光倍増と市内繁栄を祈らんが為なり

明治四年 先のさくら湯落成の際

調えられし『大般若経』は 

幾星霜を経て消摩し給うが

今度の落慶を期し再び

六百巻二百六十五品千二百九十七義

六十億四十万字の一文字

欠くること無く整うに至っては

新なる発願を捧げんと欲す

仰ぎ願わくは  

法輪曼荼羅諸尊聖衆 当山護法天等

我等が三昧の風を受けて

山鹿の里を七里結界し

さくら湯殿を閼伽の薬湯で満たし

古よりの歴史に新たなる繁栄の時を迎え

ゆかしき山鹿人の胸に

如来の法輪を雨しては

   曼荼の花を咲かせたまえ

然れば即ち

色即是空の月は

鎮へに如意円満の影を垂れ

空即是色の華は

常に福寿増長の装を凝す

別しては護持大衆

無量の栄華を現世の今に集め

  輪円の美菓を千秋の後に備う

重ねて請う

温泉源流 湧出長久 さくら湯殿

館内安全 市内繁栄 福寿増長

諸人快楽 乃至法界平等利益

維時平成廿四年十一月十三日

護国山仏性院金剛乗寺現董敬白




平成24年12月5日〜10日 

  「さくら湯」開湯記念 宥明法印と薬師堂 四国八十八ヵ所お砂踏み展 のご案内


   さくら湯開湯記念 

   宥明法印と薬師堂・四国八十八ヵ所お砂踏み展

 さくら湯」が威風堂々に落慶開湯を迎えました。
 
当山ではその祝賀事業として、温泉プラザ山鹿の特設会場に「薬師三尊像・宥明法印像(薬師堂蔵)・弁財天像(金剛乗寺蔵)」

先の県の調査で発見され話題となった宥明法印直筆の「種曼荼羅」

明治2年さくら湯建設時に調えられ、150年ぶりに完全修復された「大般若経600巻」等等・・・

薬師堂・宥明法印にまつわる寺宝を御開帳いたします。

 文明五年枯渇した温泉を再び湧出せしめた伝説の僧・宥明法印、霊木
「童子椿」の伝説・・・


三蔵法師が天竺より伝えた仏教最大の経典【大般若経六百巻】四百八十万字の世界

そして経箱に刻印された菊の御紋の由来とは・・・明治天皇と西郷隆盛・・・

湯殿に浸り 山鹿の心に浸り 仏に浸る安らぎの時をお過ごしくださいますよう
 
恩徳無辺「四国八十八ヵ所お砂踏み」巡礼の功徳を併せて ご案内申し上げます。



                         

会場 山鹿温泉プラザ3Fイベントホール(入場無料)

期間 平成二十四年十二月五日〜九日 午前十時〜午後六時

同時開催「四国八十八ヵ所お砂踏み」

                

           十二神将        薬師如来     
           三蔵法師        宥明法印
           大般若経        宥明法印直筆曼荼羅
           お砂踏みの模様


                           主催 護国山仏性院金剛乗寺 
                  協賛 温泉プラザ山鹿

         
                薬師堂内部を再現致します。




平成24年11月18日  水のチャクラ


 忙しくてホームページのupする時間も無いのですが・・・とても大切な事を書き忘れていたと気が付きました。

ずいぶん前から 水のチャクラをよく見ます。

おそらく愛染明王、あるいはクンダリ明王のチャクラ ・・・ 生きる気力の象徴・「命の水」のように思えます。

 ある医師の方が開業すべきか、このまま市立の病院に勤めているべきか訊ねに来られたときのこと・・・

大きな噴水が見えました。幅3メートルはあるかと思える水のチャクラです。
 
それも 物凄い勢いで水を吹き上げており、周り20メートル四方4、50センチほどが水に浸かっていました。

信じられないくらい充実した気力ですね!と声を掛けると、大きく頷いて笑顔を見せられました。

周り中を活気付ける強い生命力と意思の充実を示して。今からすぐ帰って、開業の準備をされてくださいと申し上げました。


 また会社の中で孤立し、大きなプロジェクトに失敗された方の場合・・・

祈りの瞑想の中で僕は30センチほどの水の入った器をかかえていました。すると突然その器が揺れ・・・

器の水が一滴残らずこぼれてしまったのです、私の膝の上に!

祈りの最中ということも忘れて 「あ〜っ!」と大声で叫んでしまいました。実際に衣が水浸しになったと思ったからです。

「今 絶望されて居られますね・・・」 と言うと泣きそうなお顔で笑われた。

 仏の慈悲がすぐにこの方を導いて、今は立ち直られ、以前と変わらぬように元気を取り戻されました。

でも 何事か起こるとすぐに来られるようになられました。

少しずつですが、このようにして真実の仏に出会い、信仰が深まるものなのですよ。


 バケツに何十杯もの水であったり、時として砂漠の下を流れる地下水であったり・・・人様々

 
 またある時 御祈祷に来られた方に最近亡くなられた方の霊が憑いて居られました。本堂の階段に立っておられたのが見えました。

ご祈祷中 仏の徳を受け瞬時に成仏されましたが、生きたお身体が消滅した途端、取り残された命の水が階段下の石の上に撒き散らされるのを見ました。

よくドラマやTVで聞く幽霊の座っていた場所がぐっしょりと濡れていたというのは、実はこの命の水=アミりティ・甘露であると思う。



平成25年10月6日  厳島で弁天様に会う

 厳島神社に初めて詣でる。連休中でもの凄い人出。神社の神殿でゆっくり祈ることも出来なかったが・・・

 ふと気がつくと神殿とは反対の、あの大きな朱塗りの鳥居を見ていた。現在の海とは比べようも無い澄み切った水、太陽の光が砂に揺れている・・・
 
弁天様の御神体はいわゆる白蛇ではなく、黄土色の大蛇であられた。 鳥居の辺りから身体を水に沈め、半身を目の前の砂浜に上げて居られた。

金剛乗寺の鎮守様も宥明法印の時代から弁天様である。今年の「さくら湯一周年祭」 「温泉祭」より大弁財天様にも、薬師如来様と合わせて

祈りを捧げることとした。



平成26年2月5日   人吉阿蘇青井神社 御祭神 建磐龍命 (たけいわたつみのみこと)


 人吉青井神社の御祭神を見る。神社の神様では珍しく人のお姿である。勇ましいお顔、髭を立てられている。

だが、明らかに生きた人ではなく、木彫りの、申し訳ないがピノキオ風である。

これは人を神格化してお祭するときは必ず斯くの如きお姿になられるものなのだろう・・・と思われる。



平成27年4月8日   竹崎観音堂 仏生会(花まつり)

 竹崎観音の仏生会の折 初めてお釈迦様を檀にお祭りして祈りを捧げた。

すると檀のすぐそばに全くお釈迦さまと同じほどのお子が現れ、僕の腰辺りに甘茶を掛け始められた。

かなり驚き慌てた。衣がびしょびしょになったから・・・

すぐ我に返り、驚きとともに感謝した。

甘茶をお釈迦様に掛けるのは『甘露』 つまり命の水を灌ぐ意味である。

それをそのまま仏は我々に灌ぎ返されるのである。

仏さまに捧げるいろいろの供養の品や祈りは、きっとそのまま何十倍も何百倍にもなって我々に返ってくるということなのであろう・・・。




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