平成18年3月1日     「曽我兄弟」

山鹿から熊本市内に移られた川津家のご自宅へお参りに行く。そこに祭られている「弁財天」に毎年新しいお札を

納めるのだ。久しぶりにお会いしたご主人の声に何かを感じた。そこでお払いではなく、御法楽として理趣経を読誦

することにした。何か見えるだろうという勘だった。

読経を始めるとすぐに、私の左の肩口から目前に緑色の光と雲に包まれて霊が現れ、優しい声とイメージが流れ込

んできた。

・・・・・・・鎌倉・源頼朝・・・・・・兄弟・・・と聞こえた。

夢うつつに、その霊は私の左肩口に寄りかかり、私もつい両手を延ばして応えたのである。暖かい情感を感じた。

この抱擁は この魂が親しい者を探して尋ねて来た時の様に思えた。

そこで、お参りが終わると振り向き、唐突に「ご先祖は鎌倉に居られたのではありませんか?」とお伺いした。

当主はあっさりと「そうです。頼朝の頃 伊豆に住んでいたらしい。」と言うと仏壇から過去帳を取り出し広げられた。

見ると、伊豆の住人曽我兄弟十郎祐成と五郎時致・・・父の仇は討つも二人とも殺され、母は山に逃れ 隠れ住んだ。

後、北条家一門に助けられた。河津一族は北条家の地領・大分の日田の代官となって移って来たと書かれてあった。

近代に入って 川津家は日田から山鹿に移り住み、豪商となられたのだ。

だが実はこの時点で、私はあまりピンと来ていなかった。現れた霊を頼朝か北条家の親戚の誰かだろう・・・くらいに

受け止めていた。「兄弟」 という言葉の真実の意味を全く理解していなかった。

ただ、川津さんには受け取ったままの印象だけを告げておいた。

「たぶん川津さんはこのご先祖の生まれ変わりかも知れません・・・」と。



平成18年3月2日    「曽我兄弟・・・続き」

昨日の霊のことがどうしても気にかかり、夜半 眠られないままPCに向かい、検索欄に「曽我兄弟」と打ち込んだ。

そこに書かれてあった記述を読みながら驚愕した。手が震え始めた・・・・

「伊豆の豪族 河津祐泰、曽我兄弟の十郎・五郎は河津祐泰の実子、曽我とは父祐泰が暗殺された後、母が子

連れで嫁いだ一族の名前である。・・・云々」

なんということだ!この時 私はやっと理解した。曽我兄弟は本来 河津姓、すなわち現在熊本にお住まいの川津家

の祖先だったのである。

そして霊の言葉・・・・・鎌倉・・・・頼朝・・・・兄弟・・・・とはまさに曽我兄弟のことを指しているのではないのか?。

では現れた霊は     ・・・・・      誰か?

左上から降りてくる御霊の様子に、目上の者、安らぎを得た者の親身ないたわりと慈愛を感じた。

あの抱擁はいったい何を意味するのか?供養を求める気配は無かった。ただ誰かが親しい者を訪れ、私の魂を介し

手を取り合い 消えた・・・


父の暗殺より17年、想像を絶する辛苦を耐え、豪雨の中 鬼神の切込みを決行し本懐を遂げると、高らかに勝利の

声を上げ、そのまま頼朝の本陣に押し入った。10数人を切り倒し、兄は力尽き討たれた。22歳だった。

弟五郎は捕らわれ、頼朝の前で「鎌倉殿に一矢報いんがため見参した」と言い放った。頼朝は心打たれその武勇を

惜しんだという。若干20歳 一日違いで兄の後を追った。


800年もの時の流れを超えて・・・・・・

兄が弟の元を訪れ懐かしく手を取り合ったというのか!

あるいは 息子を尋ねて、父 河津祐泰が現れたというのか!

これは現実か・・・・・・?

平成18年3月8日     「虚空蔵菩薩」

当山の飛び地境内・鹿本町霜野、康平寺のすぐ下の虚空蔵堂のお像がかなり痛んでいるし、もう誰も護る者とて

なく、荒廃していると云う事で、本尊様をいかがいたせばいいのかとお参りに行った。

お世話の方には先に帰っていただき、一人読経に入る。座る場所とて無い。床が落ちそうだ。

・・・・終わりがてらに、虚空蔵菩薩の剣を持たれた右手が見え、クルクルと二・三度剣を振られた。

誰もお参りする者も居ないのに、お魂は抜けては居られない。ここに居られることは無理と思うので、当山にお連れ

するしかない・・・・。

平成18年3月21日     「曽我兄弟 ・・・・補足」

御霊は雲に包まれて降りてきた。雲の中にトンネルのように空間が広がり、その奥に霊が居られると感じる。

奥は明るい黄色に光り、手前は緑かかってくる。「鎌倉・・・頼朝・・・兄弟」というイメージが流れ込んで来た。

「兄弟」という言葉には、「次男三男」というニュアンスが感じられた。

その瞬間 奥から魂が降りてきた。私も手を左肩口に上げて応えた。

かなり昔の人の霊で、人の姿の記憶が無いのか、あるいは魂だけの存在となられているようだ。守護霊なのかもし

れない。思うにその御霊の現れた理由はひとつ。ご当主に おのれの存在を知らせ、何か自覚を促しているのだ。

平成18年3月23日     「虚空蔵菩薩」

お像を引取りに行く。お参りしていると このお堂を建てた方だろうか、大きな庄屋の主人らしい人が現れた。蔵が見

える。家を潰してしまったと悔やんでおられた。だからだろう、このお堂の辺りを「蔵の下」と呼ぶらしい。

お寺にお連れする。本尊の前に安置するように望まれている。私も法輪曼荼羅の一尊としてお祭りすることが出来

れば至極在り難いことかとも思う。右手に持たれているはずの利剣が無いので、作らなければ・・・・

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