平成18年12月29日 良寛さん?
この日檀家さんのご自宅で仏壇にお参りしていたときのこと
気がつけば仏壇の隣の床の間に、どこかの本山の高僧とおぼしき いかにも大僧正然とした僧侶の姿が見えた。
麻の鶯色の衣に茶色の袈裟。こじんまりとされた丸いお顔。端正な佇まいだ・・・誰かな・・・?
先祖供養が終わると、床の間の僧侶の居られた場所に行くと、一軸の掛け物が吊るされている。
覗き込むとなんと良寛というサインが入った15センチX20センチほどの手紙。
そこへ御宅のご母堂様がお茶を持ってこられた。僕が不思議そうな顔をしているのを見て、こう言われた。
その掛け軸はつい先日購入されたばかりのもので、昨日初めて掛けたんですよ。
多分相当の高額で購入されたものだろう。しかも本願寺の管長の出した真筆の認定書まで付いているという。
良寛さんって実際は、相当に高僧としての生活をされていたんだなぁ・・・・と思ったが、
良寛さんの肖像画に見られるあの親しみあふれたお姿とは全く違っていた。
歴史を調べてみても、彼がそのような生活をしていた記録は無い。
それにいちいち手紙に念が宿るものだろうか・・・・
もしかすると僕が見た僧侶は、認定書を書いたという管長の姿だったのかもしれない。
だが、それにしても認定書程度の書類に魂が宿るのか・・・
魂が込められた認定書であるとするなら・・・書き記す際 何かしら願いのこもったものであるのだろう・・・・
平成19年4月26日 金剛鈴
生きていると・・・・あの時よく死ななかったなとか、よく生き延びてきたなって思うことがあります。
特に僕は多い方で・・・(汗;) 数えれば限がない。
幸いに仏門に入ってからはあまり人騒がせなことは少なくなったが、
でも、お寺のことであったり、信者さんのことであったり、お弟子さんのことなど、悩みは尽きない。
自分が限りなく仏より遠い存在であると感じたり・・・・
仏の事業を叶えることが出来ているのか、不安になり潰れそうになることも多い。
最近もそうだった。怒りと心労で眠れなくなり、こんな僕をなぜ仏は坊主にしたのかと悪態を吐いてしまった・・・。
普段 寺のことや自分のことでお参りをすることなどないが、本堂に閉じ籠もり、祈りを捧げること・・・数度。
やがて落ち着きを取り戻し、物事も好転してきたころ、ある朝、不思議な夢を見た。
・・・どこかの寺の本堂の前に立っている。誰かが近寄って来て「預かっていたものです、お返しします。」とピカピカの金剛
鈴を手渡された。密教の法具・仏の心の象徴。鈴の部分に三筋の帯の彫り、細身の五鈷・・・しばらくの間両手で抱いて見
つめていた。やがて、誰にも金剛鈴を貸した覚えがないこと、金剛乗寺の金剛鈴はすべて揃っていることを思い出した・・・
目を覚ますと手の中の金剛鈴は消えていた。
もしかすると いつのことか、僕は仏の心をどこかに置き忘れてきたのかもしれなかった。
ありがたく授持し、二度と無くすことのないよう気をつけなければ!
平成19年4月21日 慈観庵ホスピス建設
慈観庵にホスピスの建設が始まった。
(続く・・・)
平成19年5月12日 降伏(ごうぶく)一切大魔
釈尊が悟りを開かれるとき、さまざまな邪鬼が集まりその悟りを妨げようとしたといわれています。
お釈迦様の最後の悟りですから、その邪鬼もまた私たち凡夫の想像を絶するものであったでしょう。
大切なご家族に化けた邪気が早く帰ってきてと血の涙を流しながら訴えたかもしれません。
また、お捨てになられた国の危機を憂う心をターゲットにした邪鬼だったかも知れません。
多くの民に化けた邪鬼が、国を出られた王子にすがって泣いたことでしょう。
邪鬼は我々の心の奥の隙を突いてきます。我々が一番執着しているものを攻撃してくるのです。
私たちが邪気からこの心を守るために取るべき防御は一つしかありません。
それらを捨て逃げることです。
車、家、土地、恋人、老い、この身体・・・・
今現在 幸福な方々には、この言葉は届かないかもしれません。
また、いきなりすべてを捨てることも無意味なことです。
無理に心を押さえつけて、我慢しても念が残り、余計に魔の入り口を大きくすることになりかねません。
あくまでも自然に、自分の欲望を捨てるだけです。
時折々に仏様が教えてくれると思います。