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Vajrayana
の四季



平成20年4月某日     事務所に住む少女

 市内の或る会社の依頼 : 事務所をお払いしてほしい、代々の理事長5名ほどが在任中に皆癌で亡くなるので、なにかお障りでもあるのかもしれない・・・云々。

 かなり古い倉庫の二階をを改修して事務所としてある。その奥の畳敷の一室でお参りすることとなった。回りを会社の人々にぐるっと囲まれ、プレッシャー・・・

 仕方が無いからそのまま祈祷を始める。 何にも見えないし何も感じられそうに無い。 ぼんやり見えたこといえば、真っ白いシルエット。

少女のように見える。海水浴にでも来ているかのように片方の腕に体重を掛けて物憂げ・・・なんだ?グラビアのモデル?

完全に混乱してしまった。 もう一度お寺でお参りして見ますが・・・などと適当に口を濁して帰った。

 帰る途中に 先祖供養の月参りため或るお宅に寄り仏壇でお勤めをしていると、なんと再び少女が現れた。12,3歳。

今度はちゃんと見える。しかも水着で岩の上に寝そべっている!なんだか相当昔の白黒写真を見ているような趣だ。

・・・数日後のある夜、子供の遊び声に目が覚めた、見ると僕の右腕を誰かが掴んでいる。

「もっと遊ぼ!」見ると、ベッドの下から女の子が僕を見上げていた。大きな目、お河童の髪。

同時にいくつかの言葉が聞こえた・・・グランド・・・埋める・・・・

 急がないといけないな・・・やっと時間を作ってその子の供養をした。

なぜだか分からないが、今日はペーズリーのような柄の赤いスカーフで身体中を隠して会社の事務所を駆け抜けている。

ひよっとすると遊んでいるのかもしれない!

・・・供養が終わる頃、その子は大人の女性の姿で机の下辺りから転がり出てきた。 

数日後その会社の方にお会いしたが、実は霊騒ぎもあったらしい。小さな赤い影が通るのを何度か目撃されていたのだ。

また、以前近くに沼が在り、埋められグランドとしてラジオ体操など行われていたらしい。現在そこには別の建物が建てられている。

いつか真相を知る時が来ることを祈っている。どこの誰なのか、その心を知ることが一番の供養になるから・・・



平成20年4月  とんでもないご先祖様達


 普段あまり先祖供養を重要に思っていない僕である。先祖供養するために生まれてきてるんじゃないよ、とまで言う。だがこの方の場合違っていた。先祖の因縁を感じたのだ。

 祈りに入ると、朝の清清しい杉の木立、どこかのお寺の裏山らしい。突然地面の中が見える。真っ暗な土の下から、頭に黒い

頭襟(ときん)と呼ばれる帽子をかぶり、山伏装束の僧侶が土の中から這い出そうともがいておられる。

天台の僧らしい。たぶん即身仏を目指しておられたのだろう。だが、心の平安を見出すことなくもがき亡くなられたに違いない。

 即身仏は「即身成仏」と同じように思われているが、まったく意味が違う。即身成仏はこの身のまま現世で成仏を果たすことであり、

三界の主となることである。即身仏は成仏を目指し生きたまま石の棺の中に降り、命が尽きるまで祈りを捧げることである。

 心をこめてその方を上に引き上げる祈りに力が入る・・・祈りは届いたのだろうか・・・途中で見えなくなった。

このように即身仏のミイラになった多くの僧侶が居られたのだろう・・・魂の救いは得られないまま。

次はピストルで打たれた男が出てきた。ロバート・ケネディーにそっくりだ。顔を打たれている。政治的な陰謀で暗殺されたと感じる。

次は着物姿で立ちつくす真っ黒い影。女性の怨霊だ。

次は地面に規則正しく並べて置かれている沢山の首・・・

・・・お参りが終わり話をする。

先祖はかなりの禄を賜る豪族侍であり、南関の関所の守りにも携わっていた。首はその時代に切り捨てた関所破りの人達らしい。

哀れ・・・中には老婆の顔も見えていた。

途中 天台宗の寺を構えて六代僧侶が続く。即身仏の僧侶はこの頃の人物だ。

女性の怨霊は名前も分かっており、江戸末期手打ちにされた女性で、飛んだ首と刀がまだ井戸の中に落ちたままだという。

無茶苦茶な話だ。顔を打たれた男は・・・海運業を営んでいたが、船火災が起こり一族共々皆海の藻屑となっている。実は暗殺されていたのだった。

・・・どこまでも波乱万丈なご先祖様達・・・どこまでこの供養続くのだろう・・・?



平成20年5月某日   魔物の攻撃

 その晩子供がお風呂場で滑って危うく大怪我になるところだった。何か腑に落ちないものを感じたが、そのまま床に就いた。

うとうとしたとき、目の前に泣き叫ぶ女性が現れた。

誰だか分からなかったが、髪の色が特徴的だったことからある信者さんだと判断した。

尋常でない気がして連絡を取ってみると、物凄いことになっていた。

 阿蘇の親戚で、いとこの姉妹が二人ともいわゆる「狐憑き」で親戚中集まり大騒ぎになっており、どちらかのお坊さんが来られて

お払いをされていたが、恐ろしくなって、急いで帰ってきたと。僕のことを思いながら、今必死に祈っていたと・・・。

話を聞いただけで、家やその村中に幾重にも張り巡らされた魔界のネットのようなものを感じた。すっかり乗っ取られている様子。

僕の出番じゃないけど・・・その信者さんだけは守らなければならないので、法輪曼荼羅を教え、二度とそこに行かないようにと伝えて

また床に就いた。 普段夢など見ない僕だがその深夜うなされ汗だくになって飛び起きた・・・

 ・・・本堂でご祈祷している。やがて辺りが真っ暗であることに気付いた時、魔の空間にいることを感じた。胸に不動印を結ぶ。

暗闇に目を凝らして見ると、本堂中央の檀上の多宝塔が見当たらない・・・代わりに何か黒いものがある・・・よくよく目を凝らす。

なんと燃え尽きて崩れた多宝塔の残骸である!なんということだ!慌ててローソクに火を灯して、檀上に掲げた時、ギクッとした。

視界の隅に妙なものが見えたからだ。・・・振り向いて呆然と立ち尽くした!・・・・仏様が、全部、全部燃えている・・・・・!

あまりの驚きに夢だと気がつくのが遅れたほどだ。呆然と夢から覚めた・・・しばらくして・・・魔からの攻撃だと理解した。


狐の魔力といっても実際は他愛もないものである。恐れるに足らない。だが、心の奥底の微妙なストレス、微かな弱点を付いて来る。

わずかな嫉妬や猜疑心、妬みや悲しみを巨大な姿へと変貌させ、やがて自ら作った妄想の檻に落ちてしまう。

信ずべきは仏(心)の存在である。



平成20年7月20日  川の精


 ここ数年夏を迎えると毎日子供達を菊鹿の相良の川に連れて行くのが習慣となっている。

3年前の夏を迎える時、夢で川の精が現れた。河童のような童子形で蓮の葉に両手を付き上半身を水の上に出している。

逆光のせいか顔も身体も暗く見えにくい。かなり不気味な感じだが、こう言った。

「今年一人亡くなるだろう・・・」

驚いた僕は早速川辺で川の精に供物を並べ、安全を祈願した。幸いなことにその夏は何事もなく終わった。

 翌年まだその川に子供達を連れて行くことが出来ないでいるころ、そのニュースをTVで聞いた。その川で犠牲者が出たのだ。

今日今年初めの川遊びにその川へ出かけた、お供物のおにぎりとお酒、ケーキを持って。

子供達に川原のタバコの吸殻 空き缶、ビニール袋などを拾わせているうちに、僕は心を込めて川の精に挨拶をした。

この綺麗な川を与えてくれて感謝します。貴方とまたこうして会えたことを心から嬉しく感じます。今年もよろしく・・・・と。

いつかこの川原に河童君の銅像を作れたら記念になると思うのだが・・・



平成20年9月30日  弁天様

 ある檀家さんのお宅のこと。このお宅は不思議なお宅でいつも驚かされる。

初めて竜を見たのもここだった。皆さんは竜というと中国式のナガヒョロイ竜を思い浮かべられると思うが、実際の竜はトカゲである。

コモドドラゴン(コモド竜)と言うように、西洋のドラゴンが近い。

ピカピカの白銀の鎧を着た男前の毘沙門天さんを見て感動したこともあった。

その日僕のすぐ側まで顔を寄せて微笑みかけて来られた女性がいた。ものすごく美人で真っ白な肌、綺麗な眉、真っ赤な唇。

顔を少し傾げて僕の顔を覗き込まれている。気づけば真っ白い首が長く伸びている。

白蛇様・・・つまり弁天様だ。

このお宅にはかなり霊能者のお婆ちゃんが居られて、3年間日参して譲り受けた弁天様と毘沙門天様がお祭りされていた。

ご仏壇にお参りしていると、いつもそのお婆ちゃんが入院先の病院から語りかけてこられていたが、先日亡くなった。

お参りが寂しくなるなぁと思っていたが、その心配は無用らしい、お婆ちゃんの残された天部の神様が沢山居られる。



平成20年10月25日   特別伝道法要

 この日、熊本ニュースカイホテルの大ホールに於いて、高野山より松永有慶管長を迎え、真言宗熊本支部の特別伝道法要が

執り行われた。全九州より700名を超える檀信徒が参集する。巨大ホールも満杯だった。当山もバス1台50名の皆様と共に参列した。

澄み切った空気の中 理趣三昧が始まる。僕も静かに瞑想の糸を風になびかせた。

突然肩を叩かれ、当山の信者さんのお一人が体調を崩され会場の外で倒れられていると連絡が入った。妙だな・・・と思う。

このような大法要において、会場から弾き飛ばされ参列出来ないというのには、必ず何かしら理由があるからだ。

会場の外のソファーに休まれている信者さんの傍らに座り、静かに祈りを捧げた。

多くの方々で騒がしかったが、ふっと男性の顔を捉えた。そのことを告げると、数ヶ月前に亡くなった実のお兄さんであることが

分かった。理由は分からないが十分に成仏されていない。切実に供養を望まれていた。

数日後お兄さんの供養を営んだ。

もし法要に参列されていなかったなら、実兄の魂はもっと長い間この方に取り憑き、やがて脳卒中を引き起こしていたに違いない。

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